僕と地震とそれからそれから。

地震が起こった。

 

暗い部屋でぎし、ぎしと響く音。

 

ガシャン、何かが落ちた。

 

揺れるアパート。

 

パニックになって頭を抱えて、わぁわぁ喚く。

 

それしかできなかった僕に、

 

つけっぱなしのNHKの、

 

アナウンサーが緊迫してしゃべる。

 

熊本県震度7の…」

 

それが熊本地震の前震だった。

 

 

次の日、僕はお気に入りの場所にいた。

 

自分の大学、東海大学阿蘇キャンパスから一番近いコンビニエンスストアのカフェスペースで朝食をとり、

 

森の中に入って植物や猫の写真を撮り、

 

カフェでブラックの珈琲を飲んだ。

 

じっとしていられなかった、じっとしているのが怖かった。

 

そもそも、部屋にひとりでいることが心底怖かったのだ。

 

外の空気を吸いたかった。

 

阿蘇村には、いつもと同じ風が、僕の髪を撫でるように吹いていた。

 

僕はその日の夕方、通院の為に実家に帰った。

 

飛行機の中で思うことはひとつ。

 

熊本は大丈夫だろうか。

 

これ以上大きな…

 

いや。そんなことは。

 

 

 

 

 

 

 

 

本当に、世界は残酷だ。

 

 

 

 

 

 

 

溢れるデマと、錯乱する報道。

 

それでも雲は流れるし、テレビでは笑い声が、実に楽し気に響いていた。

 

未来などないと思った。そんな先のこと考えられるわけなかった。

 

頭がいっぱいいっぱいになって、なにもできない遠い地域の自分を心の底から呪った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「募金活動をしよう」

 

 

 

 

 

 

そう思い始めたのが5月頃だった。

 

僕は病気の関係で、ボランティアに参加することができない。

 

非力な人間は、現場では足手まといなだけだ。

 

それでもできることがあるのではと、通販をはじめた。

 

そして売り上げの半額を日本赤十字社様に寄付をした。

 

それこそエゴかもしれないし

 

自己満足かもしれない。

 

通販商品製作費分を寄付すれば?

 

なんて、聞こえてきそうでもあった。

 

熊本の為になにかをしたいと思う気持ちも当然あった。

 

だけれど、僕は生きていたかった。

 

生きる理由が欲しかった、なにかに縋っていたかった。

 

絶望的な現状から

 

どうにかして生き残りたかった。

 

ここでおわってしまわないように。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

6月くらいになって、僕はしっかり作品を作ることができるようになった。

 

詩や川柳、短編小説、勿論短歌も作ることができた。

 

その他にもデザインをやってみたり、入院生活をしてみたり。

 

初めてのライブの予定も入れた。

 

時間はとても残酷で、

 

時間はなによりの薬だと思った。

 

不謹慎だと言われれば、僕は口を閉ざしてしまう。

 

けれども、僕は生きて残したかった。

 

写真でもいい、なんでもいい。

 

あの地震の記憶を。あの場所で確かに僕は生活し、

 

山の香りを友にして勉学に励んでいたことは、

 

どんな自然災害が起ころうとも、それは

 

なかったことにはならないのだから。

 

 

 

 

 

 

新生活は不安だらけだ。

 

路面電車ががたごと走って、

 

踏切がカンカン鳴っていて、

 

新居の電球は入居初日に切れてしまって。

 

けれども嬉しいんだ。

 

とても。

 

また講義が受けられるのだ。

 

教授に質問ができるのだ。

 

あの空間にいられるのだ。

 

「神様は乗り越えられない試練は与えない」

 

と誰かがいった。

 

だとしたら、神様貴方はとんでもなく酷です。

 

確かに失ったもの、

 

えぐるような胸の奥の方の傷。

 

それを乗り越えたらなにが見えますか、何を見せてくれるのですか?

 

それすら教えてくれない神様、貴方はいじわるが過ぎる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

新居でバドワイザーというビールを飲んだ。

 

とても、とてもおいしかった。

 

いいビールを教えてもらったと思った。

 

またここで飲もうと

 

そう思った。

 

 

ーーー以下写真は一部ショッキングなものが含まれます。ご注意くださいーーー

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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土砂崩れ。阿蘇大橋は跡形もなかった。

 

 

 

 

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約2か月ぶりの自室。本棚の本は全部放り出され、ロフトベッドのはしごが部屋の端まで飛ばされていた。右に見えるのが予備のベッド。これも倒れていた。

 

 

 

 

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少し前に撮った講義室。この席がとてもすきだった。